【雑記】過去が前で未来は後。我々は前を向いて後ろへさがっていく。
なぜ未来なのに「後」なのか?
今朝電車でTwitterのタイムラインを見ていたら「江戸時代の時間の感覚は未来→過去だった」みたいなニュアンスのツイートがありました。
で、そのツイートは後で探しても見つからなかったのですが、ググってみると、確かにそんな考え方があるようです。江戸時代の時計は針ではなく文字盤の方が動いていてまるで未来から過去に進むし、1ヶ月前のことを先月(先の月)というし、今の時間の感覚と違うかったのではというような話のようでなかなか興味深いです。
時間に関する漢字の表現を整理してみる
過去、現在、未来の3つがあるとしてこれらの漢字の表現の仕方を羅列してみると・・・
過去 | 現在 | 未来 |
1時間前 | 今 | 1時間後 |
先日 | 当日 | 後日 |
前日 | 当日 | 翌月 |
前年 | 今年 | 来年 |
去年 | 今年 | 来年 |
これまで | – | この先 |
従来 | – | 今後 |
以前 | – | 以後 |
・・・という感じでしょうか。
確かに過去のことを言う時に前をつけて、未来は後がついていますね。
ただ「江戸時代の時間の感覚は未来→過去だった」と言われるとちょっと違う気も・・「よいお年をお迎えください」みたいな表現が当時もあったのであれば、それは「過去→未来」の感覚のはず。
まあ、実際に「よいお年を」という言葉を当時使っていたかどうかは知りませんが・・
おそらく、過去は見える(わかる)から目の前にある日で「前日」。未来は見えない(わからない)から目の後ろにある日で「後日」って意味で漢字を当てている気がしますね。
【追記2024.7.4】もしかして、そもそも「帰り道」なのか?
先日、昔好きだったブルーハーツの「ナビゲーター」という歌の歌詞をみる機会があって、以下のフレーズを見て、このページのことを思い出したので追記します。
『この旅は気楽な帰り道、のたれ死んだところで本当の故郷』
結局は人生も時間の流れと同じで、過去は見えるけど、先は見えない。
「ああ、こんなことあったな、面白かったな、楽しかったなと振り返りながら、家路につく」って感じなのでしょう。
そして、最後は生まれる前に戻るので、そもそも帰り道なんですよと。
生まれた瞬間からもう帰り道なので、寄り道しながらのんびり行きましょうって感じですね。
(もちろん、歌の真意は知りません。勝手な解釈です。あしからず)
このナビゲーターの歌詞の「帰り道」っていう表現は見事で、時間の流れも結局「帰り道」みたいなものなんでしょう。いつもと違う(前回とは違う)ルートで帰っているので道中わからないことばかりですよ。でもゴールは同じですよ。ということでしょう。
当時は歌詞の意味まで深く考えずにただ聞いていましたが、今も昔も最高の歌です。
結局、我々は前を向いて後ろへさがっていく
そんなことを考えていると、なんとなく気づいてしまいました。人間は基本的に過去のことは見えるけれど、未来のことは見えません。つまり・・
人は前を向いた状態で後ろへさがっていく
(人生あとずさり)
ということなんだろうと。
熊と対峙した時に背を向けて逃げるのではなく、目を合わせて後ろにさがっていく・・そんな感じです。
じゃあ、振り返れば奴(未来)が見えるじゃん!
まあそうなんですが、振り返る手段が現在の科学では見つかっていないということなんでしょう。
ついでに、後退せずに前に進めばタイムスリップですね。こちらも今はまだできませんが、、
以上。雑談でした。
P.S.文字盤の方が動く時計アプリは作ってみようかな。あ、文字盤動くと考えると、人は動いてなくて、時間が後ろからやってきて、前に過ぎていく感じか・・・